「満蒙は帝国の生命線であり、必ず守らなければならない」という世論は、新聞によって形成されたとみてよい。検証戦争責任 読売新聞戦争責任検証委員会 中央公論社は指摘する。以下は同書からの引用だ。

検証戦争責任 読売新聞戦争責任検証委員会 中央公論社より〜(297頁より)
 満州事変(三一年九月)は、日本のジャーナリズムにとっても、大きな分岐点だった。
 満州事変後、新聞各紙は、特派員を大勢派遣し、軍部の動きを逐一報道した。それにあおられるようにして、国民は好戦的になっていった。「満蒙は帝国の生命線であり、必ず守らなければならない」という世論は、新聞によって形成されたとみてよい。
 新聞各紙とも、満州国独立構想、リットン報告書、国際連盟脱退などを追い続け、戦況報道によって部数を飛躍的に伸ばしていった。利潤の追求が、言論機関としての使命より優先されていった。関東軍が、満州国に国民の支持を得ようと、新聞を徹底的に利用としたのも確かだ。しかし、軍の力がそれほど強くなかった満州事変の時点で、メディアが結束して批判していれば、その後の暴走を押しとどめる可能性はあった。

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