自民党憲法改正草案を考える〜基本的人権の制限〜
憲法改正について、7月の参院選で争点にすると安倍首相が明言した。そこで自民党の憲法改正草案(クリックで自民党HMへ)を読んでみた。
本来、憲法は国民と国の契約。だから国家権力による国民支配を許さないものにすべきだ。どんな思想を持つ政党が政権を担っても、国家権力による恣意的支配を許さないものにすべきである。しかし、同案は支配する側の視点・御都合で作られているように思えてならない。特に、国民の権利について、強い表現で自制・制限を求めている。同案第12条は次のように定める。
(国民の責務)第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。 |
自由及び権利には、「責任及び義務が伴う」ことを自覚せよと規定し、「常に公益及び公の秩序に反してはならない。」と規定している。国民が自由や権利を行使するにあたっては、常に自制を求める内容となっている。正に、支配する側にとって好都合の規定だ。 表現の自由について定める同案21条2項は最悪だ。
(表現の自由) 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。 2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。 |
第1項で「一切の表現の自由は、保障する。」と定めながら、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認められない。」とする。思想信条の自由が保障される(同案19条)のであれば、表現の自由は、当然保障されなければ意味をなさない。考える自由が保障されるのであれば、その内容を表現する自由がなければ意味がないからだ。それを「公益及び公の秩序を害する」との理由で禁止することは思想信条の自由をも否定することになる。
さらに問題は「公益及び公の秩序」とは何か、さらにそれを「害する」とはどういうことかということである。時の政権の恣意に左右されれば事は重大であり、国民が自らの意思を表明できない暗黒時代への逆戻りとなる可能性がある。そのような可能性を可能限り無くすのが憲法の使命であり、その意味においてもこの条項の抱える問題は大きい。
これについて、自民党憲法改正草案Q&A(クリックで自民党HMへ)では次のように説明されている。
・・「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。 |
個人の人権主張が他人に迷惑をかけるからといって、自らの人権を主張を自制する必要はない。そこにあるのは(自分の)人権と(他人の)人権との衝突、争いであり、その争いは双方の話し合いや裁判所の公開の法廷で解決を図るべきであり、そのための途は準備されている。憲法は国民と国家との契約であり、上記説明は不十分であると言わなければならない。