2019年10月10日

また君に恋してる

また君に恋してる

朝露が招く 光を浴びて
はじめてのように ふれる頬
てのひらに伝う 君の寝息に
過ぎてきた時が 報われる
いつか風が 散らした花も
季節巡り 色をつけるよ
また君に恋してる いままでよりも深く
また君を好きになれる 心から

若かっただけで 許された罪
残った傷にも 陽が滲む
幸せの意味に 戸惑うときも
ふたりは気持ちを つないでた
いつか雨に 失くした空も
涙ふけば 虹も架かるよ
また君に恋してる いままでよりも深く
また君を好きになれる 心から

posted by 福地行政書士事務所 at 12:59| (創作)琉球夜話
2019年10月08日

ぼくは ずっと守りたい

  ぼくは ずっと守りたい

真っ赤なサンゴを身につけて 広い海原を自由に泳ぐ

澄んだひとみの君の夢を

ぼくは ずっと守りたい

青いサンゴを身につけて 荒波の海原を果敢に進む

きらめくひとみの君の夢を

ぼくは きっと守りたい

碧(みどり)のサンゴを身につけて 広い海原を自由に泳ぐ

静かにほほ笑む君の夢を

ぼくは ずっと守りたい

君のむねのすきまから 青いサンゴが顔をのぞかせ

そっと笑顔をみせてくれる

そんなやさしい君の夢を

ぼくは きっと守りたい

君の みじかいスカートが 見たいから

 

【Cocco 「シュコンの見える丘」 大浦湾に帰ってきた2頭のジュゴン 辺野古で起こっていること】

【沖縄県辺野古でジュゴン発見 「北限のジュゴン調査チーム・ザン」】

【Cocco[ジュコンの見える丘]現地で弾き語り Cover by BEBE】

【ジュゴンの見える丘@沖縄県名護市】

posted by 福地行政書士事務所 at 08:00| (創作)琉球夜話
2019年08月14日

会うたびに君は

 子育てから開放されようとしている今、小椋佳の生前葬コンサートを視た。息子たちが懸命に白球を追っていた日々を思い出す。そのときにこの曲はぴったりだ。 

  逢うたびに君は

いたいげな眼差し 投げ続ける君は

ひたむきな心を 隠そうともしない

変わらない憧れを背中に映し 会うたびに 君は美しくなる

限りなく青臭い君の夢を 裸になって抱き 抱きしめたい

移ろいの多さに かすり傷を恐れ

誰となく心に 壁を立てる中で

陰りない輝きを背中に映し 会うたびに 君は美しくなる

ためらいも 疑いも 君の夢に 地平超えて飛び 飛び散ってく

気負わずに熱い 君の足音が弾む

爽やかに熱い 君の歌声が響く

変わらない憧れを背中に映し 会うたびに 君は美しくなる

限りなく青臭い君の夢を 裸になって抱き 抱きしめたい

気負わずに熱い 君の足音が弾む

爽やかに熱い 君の歌声が響く

posted by 福地行政書士事務所 at 14:27| (創作)琉球夜話
2019年05月09日

たった一人のあなたのじぶん

     たった一人のあなたのじぶん

 

 家族の前にいるときも

 業(なりわい)の客の前にいるときも

 友とのたわむれの中にいるときも

 たった一人のあなたのじぶん

 

 おおいつくした仮面(マスク)を取り去り

 まとわりついたよろいを脱ぎ去り

 見えてくるのは

 たった一人のあなたのじぶん

 

 取り繕うことばがじぶんを傷つけ

 身を守るはずのことばがじぶんを傷つける

 どんなにうまく騙しても じっとこちらを見つめている

 たった一人のあなたのじぶん

posted by 福地行政書士事務所 at 08:21| (創作)琉球夜話
2014年10月19日

あなたが傍(そば)にいるだけで

    あなたが傍(そば)にいるだけで

 あなたが傍にいるだけで わたしの心は高なるのです

 あなたが傍にいるだけで わたしの心は満たされるのです

 わたしの思いよ、あなたに届け。それだけで わたしの心は満たされるのです

 

 あなたの笑顔に出会うたびに わたしの心はふるえるのです

 小さなえくぼが わたしのほほ笑むたびに わたしの心は満たされるのです

 わたしの思いよ、あなたに届け。それだけで わたしの心は満たされるのです

posted by 福地行政書士事務所 at 15:40| (創作)琉球夜話
2013年03月12日

ミサゴ(鶚)の夢@

  昔、琉球の北のはずれに村があった。村人は田畑を耕し、漁をして活(い)きていた。けして裕福とは言えなかったがその暮らしぶりは仕合せそうだった。

  ある日、その村にそれまで見たことの無い鳥が舞い降りた。ミサゴである。 

  この鳥、主に海岸線に生息する。水面をゆっくりと低空飛行し獲物を探す。春・秋の渡りの季節には東北あたりでも観察されることがあるという。食性は肉食。獲物を見つけると素早く翼を羽ばたかせて空中に静止する。その後に獲物めがけて急降下し、水面近くで脚を伸ばし両足で獲物を捕らえる。名前の由来は様々な説がある。「水を探る(みずをさぐる)」が転じたとする説や、獲物を捕らえる時の水音が由来とする説等がある。

 村に舞い降り、海岸線の松木立のてっぺんにいるミサゴが「ぴよぴよ」と鳴いている。その声は優しい。優しい声に魅かれて村人が振り向くと、その口から光るものがこぼれ落ちてくる。村人が近づいてみると、それは金(きん)だった。おどろいた村人は、喜んで拾い集めた。

 やがて「ぴよぴよ」の鳴き声は大きく村中に鳴り響いた。多くの村人が集まり、競って金を拾い集めた。

 貧しかった村はしだいに豊かになっていった。

 田畑を耕し、漁を生業としていた村人たちは、拾った金が無くなるとミサゴの下に出向き金を拾うようになった。

 やがて、ミサゴの口からこぼれ落ちるものは金から銀に代わった。それでも村の豊かなにぎわいは変わらなかった。やがて、銀は銅になり、銅はやがて鉄になった。

posted by 福地行政書士事務所 at 09:12| (創作)琉球夜話
2011年06月10日

巣立ち

スーサー@.JPG 梅雨明け(6.9)の日に、私の事務所に珍客があった。スーサー(イソヒヨドリ)である。玄関先で盛んに鳴き声を上げている。事務所の中にまで入ってきそうな勢いだったが、私と目が合うと駐車場の方に向かった。急いでカメラを手に外に出てみると、門扉の上であたりを伺っている。

 しばらくあたりを伺っていたが、飛び立ち、隣とのブロック塀の上に飛び移った。よく見ると、ブロック塀には雛がいる。きっと、巣立ちをしたのはいいが、雛の姿を見失い、事務所先まで探しにきたに違いない。

 ブロック塀にうえに立つ雛の姿は、親鳥の心配をよそに凛としている。親子は互いを確認した。雛はうれしそうに、見てくれとばかりに飛び上がった。

 スーサーA.JPGスーサーB.JPGスーサーC.JPG

 親鳥が見守る中、雛は何度も飛び上がる。ブロック塀から立木へ、そしてまた隣の立木へと飛び移っていく。心配そうに声をかける親鳥。

 子供の巣立ち。どこの世界でも、親は、どきどきしながら見守るしかないようだ。

posted by 福地行政書士事務所 at 11:15| (創作)琉球夜話
2010年11月01日

コーヒーショップにて

 昼食を摂るために、コーヒーショップに入った。 ブレンドコーヒーとホットドッグを注文した私は、窓際の席へ。食事をしながら窓の外を行き交う人たちを観ていると、時々、食事をしている私の姿を凝視しながら通り過ぎる人がいる。目が合うと、どちらともなく目をそらすのだが、その時、ふと思った。

 「どちらが見世物になっているのだろう?」

 せっかく東京に来たのだからと街の風景を見ながら食事をしいている私にとっては、道行く人は風景の一部であり、道行く人は見世物である。

 一方、単に通りすがりの人と食事をしている人とではどちらが見世物かと言われれば食事をしている人に違いない。自分の食事風景を観察されるのは気持ちの良いものではない。だから他人の食事風景を観察することは難しいこととだ。だとすれば、食事をしている私の方がどちらかといえば見世物になっているのではないかと思うのである。しかし、足早に通り過ぎる人、近くの交差点では信号を無視して横断歩道を渡ろうと辺りを見回す人など、いろんな人のいろんな表情を観察しているとどうみても道行く人が見世物になっているとしか思えない。

 こんなとりとめもないことを考えているうちに、コーヒーを飲みほした私は、店を出た。

 その瞬間私は、街の風景の一部となって見世物になっている、はずであった。しかし、通りから、窓際でコーヒーすすっている女性を観ると、どうみても、窓の向こうの方が見世物に思えてしょうがなかった。

posted by 福地行政書士事務所 at 19:09| (創作)琉球夜話
2010年11月01日

初めての都庁

都庁付近.JPG 10月16日(土)に結婚式参列のために東京に行った。場所は東京ヒルトンホテル。地図を見ると東京都庁の近くらしい。早めに沖縄を発ち、ホテル付近を散策することにした。

  都庁.JPG初めて観た都庁。とにかくでかい。超高層ビルが立ち並ぶ中、他のビルに負けないくらいに立派である。まさに権威そのもという感じ。日本の首都東京の威厳を示すかのよ鳩.JPGうな姿だ。 

  土曜閉庁日の昼間とあって都庁周辺は極めて静かだった。中庭には花壇に花を植える人の姿があり、その周りには鳩が集まっている。都庁中庭から1.JPG

 都庁周辺の公園には散策する親子連れやカップル、ジョギングをする人もいる。

 極めて静かな都庁周辺の姿だった。 

  

posted by 福地行政書士事務所 at 18:36| (創作)琉球夜話
2010年10月06日

季節の変わり目を感じるとき 〜それは便座に座った瞬間〜

 ここ沖縄でも、これまでの夏の暑さがうそのように、朝夕めっきり涼しくなった。敷布団を敷いて、薄いタオルケットを掛けないと朝は肌寒さを感じる。そんな、寒暖の変化を感じながらも、朝の身支度をしているうちに日が昇ってくると、気温は上昇し、いつものように汗ばんでくる。そんな少しずつ変化していく季節の移り変わりの中で、間違いのない季節の変わり目を、私に感じさせてくれるのがトイレだ。そう、便座に座った瞬間である。

 夏の暑さになれた身体。便座に座った瞬間に、その冷たさが心地よい間は、まだまだ夏である。特に誰かが使った後のぬくもりを不快に感じるのなら、季節は夏。

 一方、便座に座った瞬間に、その冷たさが身を凍らせるような刺激が感じるとき、季節は間違いなく冬へと入っている。そして、誰かが使った後のぬくもりが心地よく感じられるとき、季節は冬。

 人のぬくもりを感じるというとき、普通は、他人の善意や親切心に感謝する気持ちを表現するのだが、冬の冷たいトイレで、温め機能のない便座に、冷たさに覚悟して、勇気を振り絞って座った瞬間、人のぬくもりを体感する。文字通りの人のぬくもりを感じる。

 夏から秋へと季節が変わっていくとき、今年は、いつ、便座のぬくもりを心地よいと感じることになるのか。その時が、私の冬の始まりなのである。 

posted by 福地行政書士事務所 at 08:39| (創作)琉球夜話