栄子の彼は会社の上司の孝男。いわゆる社内不倫。でも、栄子は本気だったし、孝男も妻と別れて結婚すると言ってくれた。部署が違うのでいっしょに仕事をしたことはない。社内食堂で声をかけられ、何度かデートするうちに引かれていった。
「孝男さん。どうして私に声をかけたの。」
「え。」
虚をつかれたように孝男は声を詰まらせた。
「実は、始めて栄子をみたときからピンときていたんだ。」
「ピン、って何?」
「直観みたいなものかな。この女(ひと)ならと思ったんだ。」
「この人(ひと)ってどういう意味?」
「運命の女って感じかな。」
「孝男さん、奥さんいるじゃない。どうして私が運命なの。」
「あいつとは弾みで結婚しちゃったんだよ。結婚するまでは優しく振舞っていたくせに、結婚する と同時に掌を返したように変わった。掃除はしないし、飯もまずい。朝は弱いからって俺が出勤するまで起きてもこない。最悪だよ。だから、俺、哲学者にでもなろうかと思ったくらいだよ。」
孝男は悪戯っぽく笑った。
「でも、子供さんいらっしゃるんでしょ。」
「子どもがいるから我慢できるようなもの。子は鎹(かすがい)っていうだろ。子どもがいなけりゃ離婚だよ。」
「そうなんだ。」
他人の夫婦関係なんか別に興味がなかったけれど、こうして直に聞かされると興味というか、何か変な感じだけど、もっと聞きたくなる。
「ここしばらくセックスレス。こんな状態で、栄子のような女に出会ったらいちころだよ。栄子は俺にとって特別だよ。」
ほんとに特別なの。
孝男の言葉を信じたいような、信じられないような。微妙に揺れ動く心の戸惑いの中で、でも、たしかに孝男に惹かれていく自分自身が、栄子は愛おしかった。