2009年09月07日

1 検察官にとっての裁判員制度

 これまで法律の専門家(相当程度の知識を有していることが前提となる)を相手にしていたのが、知識を有しない素人相手の仕事になる。検察官の仕事は被告人の犯罪事実を立証することにあり、その立証が不十分だと無罪となるの可能性が高くなる。これまでは、裁判官若しくは弁護士に対しては「これくらいも知らないのか」との態度でも通用していたのが、裁判員に足しては、立証、説明しきれなければ勝負に負けることを意味する。裁判員制度の前提が、法律知識を有しない裁判員を相手とする仕事なのであり、その苦労は想像を絶する。しかし、反対に素人相手だから、難しい法律理論ではなく分かり易く説明することで足りると考えれば、発想を変えれば新しい方法が見つかるのかもしてない。おそらく、検察サイドにおいても、分かり易くかつ素人の納得の得られやすい手法は何か。プレゼンテーションの在り方についての検討がなされているに違いないのだ。
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2009年09月07日

2 弁護人(士)にとっての裁判員制度

  検察官の苦労は弁護人(士)にとっても同様だ。素人相手にどのような手法が効果的か、公務員である検察官は全国統一組織であり、その調査研究は組織的に行われるが、弁護士は私人であり、この点の調査・研究データの収集・分析をどうしていくのか、課題の一つである。弁護士の仕事は、被告人の無罪を立証することに有るわけではないと言われる。つまり、検察官の立証を崩せば「疑わしきは被告人の利益に」の原則に則り被告人は無罪になるから、そこをどう裁判員に分かり易く説明していくかが課題だ。そして、もうひとつ、弁護人にとっては大きな課題がある。量刑の問題だ。被告人が有罪となり、どのような刑罰が妥当かという場合、昨今の厳罰化の流れの中で、どのように対処していくかが問題だ。弁護士は、世界中が被告人の厳罰を求めても、被告人を弁護する唯一の存在である。世界を的に回しても被告人を弁護するのが弁護士の役目である。
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2009年09月07日

3 裁判官にとっての裁判員制度

  これまで、裁判は時間がかかるというのが一般的だった。特に刑事事件においては、手続きが厳格であり、そのため時間がかかっていた。例えば、起訴状一本主義(起訴状:検察官が被告人の犯罪事実を記載した書面で、これを裁判所に提出することによって起訴されたことになる)というのがある。これは、第1回の裁判が開かれるまで裁判官は起訴状に記載された事実以外の情報を得て予断を抱いてはならないという原則である。だから、裁判官は被告人がどんな人物なのか、なぜこのような犯罪を犯したのか、第1回の裁判が開かれるまで分からないのだ。第1回の裁判前の事前準備ができないのが原則である。裁判員制度においては、公判前整理手続きがあるが、これも起訴状一本主義を否定するものでわなく、起訴状一本主義の範囲内で行われるから、正直なところ出たとこ勝負というのが現実ではないかと思う。やってみなければ分からないが、これまで、6ヵ月くらいかかっていた刑事裁判を1週間程度で終わらすことができるのか、懸念されるところだ。
 
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2009年09月07日

4 裁判員制度への批判について

  裁判員制度への批判の中で、裁判所が難しい判断(判決)を国民に押し付けて、裁判所はその責任を免れようとしているという意見を耳にすることがあるが、少し考えてみたい。
 例えば、家庭の問題を解決しようとする場合、おそらく多くの過程では家族会議を開いて、家族全員の意見を聞いて解決を図ることと思うが、そこで、突然、お父さんが、「今後の家族会議にはお隣の金城さんを加えて会議を開くことにする。」と宣言した。当然家族は大反対、なんで、内とは何の関係もない金城さんを加えるわけ?   しかも、金城さんには評決権をも与えるという。そんな、ばかな。金城さんはうちのことは何も知らないのにどうするわけと聞くと、お父さんが説明するという。はぁ〜? ばっかじゃないの!となるに違いないのだ。こう考えると裁判員制度を導入することによって、裁判官が暇になる、裁判官が責任を免れることになるとは思えないのだ。裁判員からの質問に答えるだけでなく、当然に理解できる程度に答えなければならない。実は、裁判員となる国民が抱く以上に、裁判官も不安を抱えているのではないだろうか。
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2009年09月07日

5 裁判員に選ばれたら

  裁判員に選ばれたら、特に参加できない事情がなければ参加した方がいいと思う。巷では、どんなときに断れるのかということが議論になっているが、一生のうちで一度あるかないかの経験である。裁判員になることは法で定められた義務となっている。理由のない不出頭には制裁も準備されている。逆に考えれば、あなたの持っている知識、常識、世界観に基づいて判断をすれば、責任は問われないのである。
 また、どうしても裁判員として加わることで不都合があれば、遠慮なく裁判所に申し出ることである。国民が負担に感ずることなく参加できる制度に変えていくことも、また、国民の責任である。そのためには裁判所に物を言うことをためらってはならない。
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2009年10月25日

6 裁判員裁判対象事件について

 裁判員制度は、国民の司法参加により、国民の司法への理解と信頼の向上を目的とするとされている。裁判員裁判の対象となる事件は「死刑又は無期の懲役もしくは禁錮にあたる罪にかかる事件」である。いわゆる重大事件である。具体的には殺人、傷害致死、放火等の事件がその対象となる。たしかに人命にかかわるような事件については人々の関心が高いのが常であり、審理対象となったと思われる。しかし、国民の司法参加をいうのであれば、国民の基本的人権に関わる事件もその対象とすべきではないだろうか。例えば、マンションへのビラ配布が住居侵入罪に問われている葛飾ビラ配布事件(現在最高裁で審理中)のような事件である。この事件のビラ配布の事実が国民生活の平穏を害するものなのか否か。法律の専門家による判断に加えて市民感覚を司法判断に反映させる方が国民主権国家の形成に資することになるのではないかと考える。 そして、もう一つ、被告人が裁判員裁判を希望する場合に採用することである。裁判員制度の導入にあたっては被告人の裁判をうける権利についてどんな議論があったのか明らかになっていない。被告人が国民による判断を希望するのであれば裁判員裁判を受けられるようにすることが制度の充実にもつながると考える。

 裁判員制度の意義が、国民の司法への理解と信頼の向上から更に進んで、何を罰し、何を罰しないのかについても最終的には国民が決定するような国民主権国家の形成に資する制度になることを期待したい。

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