ウチナーグチ裁判の衝撃
2013年5月12日付琉球新報に掲載された「主権この手に」〜真の復帰とは〜の内容は衝撃的だ。以下は同記事からの抜粋だ。
「日本語で話しなさい」。語気を強めて命じる裁判長に対し、県出身の若者たちは「うちなーや、日本やがやー(沖縄は日本なのか)」と訴えた。 1972年2月16日。東京に住む県出身の若者3人が「日本復帰拒否」を訴え、国会で爆竹を鳴らした「沖縄国会爆竹事件」(71年10月)の初公判が東京地裁で開かれていた。後に「ウチナーグチ裁判」と呼ばれる。 人定質問で被告の本島出身女性は「むかせー、会社員やしが・・」とウチナーグチ(沖縄の言葉)で語り始めた。裁判長は日本語で話すよう命じた。弁護人は「彼らが自分の思想を述べる時は生まれ育った所の言葉でしか表現できない。通訳をつけてほしい」と申し入れたが、却下された。・・・ |
酷い話である。現在なら決して許されない裁判所の訴訟指揮だ。
私は小学校6年生の時に日本復帰を迎えたが、その頃の学校での「方言(ウチナーグチ)禁止指導」は厳しかった。学校の週の努力目標に「方言を使わないようにしましょう」とか「共通語を使いましょう」などが掲げられていた。流石に「方言札(方言を使った生徒に、罰として首から下げていたという札)」はなかったが、方言を使う生徒は生徒指導の対象とされていた。
裁判を受ける権利は憲法で認められている。その裁判を受ける法廷でウチナーグチを使うことが許されなかったことが信じられないし、同時に沖縄差別が司法においても蔓延していたことに衝撃を受けた。同時に、学校で行われた、徹底したウチナーグチ狩りの理由が分かったような気がした。権利を守る最後の砦である裁判所で身を守るためには共通語を使わなければならなかった、とすれば、可愛い子どもたちに身を守る術を身につけさせるためには仕方ない、と考えていたに違いない。
ウチナーグチ狩りのようなことは現在はないが、基地問題を始めとする日本政府による沖縄差別の実態はご存知のとおりであり、是正させなければならない。そのためには沖縄差別を絶対に許さないという沖縄の声を挙げ続けなければならない。