「・・悔恨が残る。」第1次嘉手納爆音訴訟の裁判長瀬木比呂志氏が語った
今年6月21日付琉球新報に極めて興味深い記事が掲載された。
第1次嘉手納爆音訴訟は1994年(平成6年)2月24日に判決が言い渡され、過去の損害賠償については認められたものの、飛行差し止め・将来の損害賠償については認められなかった。その当時の裁判長瀬木比呂志氏が判決の内容について「悔恨が残る」と語ったのである。その悔恨の内容は、同氏の著書「民事訴訟の本質と諸相−市民のための裁判をめざして」に記載されている。以下は同著書からの抜粋である。
なお、・・、大阪国際空港夜間飛行差等請求事件判決・・については、私自身、苦い思い出がある。沖縄で、嘉手納基地騒音公害訴訟判決を書いた際、私達の若い合議体は、民間空港と米軍基地という事案の相違があるため、その事件では、最高裁大阪空港判決に沿うのではなく、せめて、重大な健康被害が生じた場合には差止めも認められるという一般論を立てて、判例に小さな穴を開けたいと考えていた。しかし、判決の下書きができた段階で、国に対する米軍基地の騒音差止請求を主張自体失当として棄却する最高裁判決・・が出たために、それに従って、理論面では判決の心臓部に当たるものともいえた前記の判断を捨ててしまったのである。・・その当時は、私も、まだ、疑問は抱きつつも、最高裁判決に従うべきものと考えていた。正直にいえば、最新の最高裁判決と真正面から抵触する判決を出すことに対する不安やためらいがあったことも否定できない。私が、そのような考え方をはっきりと改めたのは、瀬木・民訴執筆の時点であった。・・ |
私事になるが、判決当時、私は那覇地方裁判所沖縄支部に勤務し、瀬木裁判官(当時)と競売事件を担当していた。当時、同氏は沖縄市内に居住しており、地域住民の爆音被害については身をもって経験していたに違いない。
第1次嘉手納爆音訴訟判決が出された1994年(平成6年)から、すでに20年が経過しようとしている。しかし、嘉手納基地から発生する爆音・排気ガス等々の基地被害は減るどころか、ますます酷くなっているのが現状だ。第3次嘉手納基地爆音差止訴訟(2011年4月28日提訴)の原告団数が2万2000人を超えている事実が、正にこの状況を示している。
・・琉球新報の取材に対し、瀬木氏は「安保も重要だが、国民の基本的人権が優先されるべきだ。裁判は国民のためにある」と強調した。(【社説】飛行差し止め論 基地被害救済に一石投じた(同)より抜粋) |
第3次嘉手納基地爆音差止訴訟においては、瀬木氏が指摘されるように「裁判は国民のためにある」との視点からの判決が出されるべきである。