「首相や閣僚が次々と交代するうちに、(辺野古受入)条件がなくなってしまった」〜稲嶺前知事インタビューから〜
4月17日翁長知事・安倍首相会談後の記者会見。翁長知事は、「菅官房長官の言う、稲嶺前知事や亡くなった岸本前市長の16年前の辺野古基地容認は、既に閣議決定されていた容認条件(基地使用15年期限・日米地位協定改定等)が小泉政権時代に破棄された。したがって、前提条件を失っており容認したことにはならない」ことを指摘し、これに対して安倍首相からは反論がなかったことを明らかにした。
これを裏付けるインタビューが今日(4月21日)付東京新聞に掲載された。発言者は稲嶺前知事だ。稲嶺氏は「首相や閣僚が次々と交代するうちに、条件がなくなってしまった。軍民共用などは県民の財産をつくるということで賛成したのに、随分、形が変わって非常に寂しい。だから、今の計画の協議には応じたが、同意はしなかった」と述べた。同意条件が反故にされたので、「協議には応じたが、同意はしなかった」と指摘した。
結局、仲井真前知事の「普天間の5年以内運用停止」も、この類であったことが理解できる。埋立承認の前提と言っておきながら、承認を得て工事を進め、既成事実を積み上げ、結局、沖縄があきらめるのを日本政府はを待っているのだと。こんなことが許されるはずはない。
辺野古新基地建設反対の民意を実現するために、沖縄は、声を挙げつづける!!!
以下は4、21付東京新聞から当該部分の抜粋だ。
◆基地、国民全体の課題 米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設をめぐり、在職時に代替施設の受け入れに同意した稲嶺恵一・元沖縄県知事は、同意の前提が崩れたとの認識を本紙に語った。政府が名護市辺野古(へのこ)への新基地建設を進める中、当時の経緯や解決策について聞いた。 (聞き手・後藤孝好) −一九九九年に名護市への移設に同意した理由は。 「現実論として、すぐに普天間飛行場をなくせとは言えない。移設された米軍基地が沖縄県内に固定化されるのは嫌なので、使用期限を設けて暫定的に軍民共用で使うという条件を付けた。当時は県民が一定の理解をしていたし、政府も閣議決定で沖縄の条件を了解した」 −当時の条件が消えてしまった。 「首相や閣僚が次々と交代するうちに、条件がなくなってしまった。軍民共用などは県民の財産をつくるということで賛成したのに、随分、形が変わって非常に寂しい。だから、今の計画の協議には応じたが、同意はしなかった」 −昨年の沖縄県名護市長選や県知事選、衆院選の県内選挙区では反対派が相次いで勝利した。 「二〇〇九年に当時の鳩山由紀夫首相が『県外移設』を掲げたことで、県民は苦渋の選択をしなくてもいいんだと目覚め、意識が変わった。基地に反対していたのは従来、革新の活動家が中心だったが、今は座り込みの人たちを見ても、一般のおじさんやおばさん、若い学生が多い。中間派や無党派、保守系で反対する人たちが増えてきた」 −それでも政府は建設推進の構えを崩さない。 「十六年前とは沖縄の政治状況が全く違っているので、進めるのはなかなか難しい。政府はのど元過ぎれば熱さを忘れるので、簡単に考えて、沖縄への配慮が足りない。もう一度、外交防衛や米軍基地のあり方を考え直すことが大事だ」 −沖縄の基地問題をどう解決すべきか。 「日米同盟の重要性は分かっているが、沖縄は戦後七十年間、米軍基地が集中し、しわ寄せを受けてきた。政府は国民を見ているから、国民全体で取り組まなければ、沖縄の基地問題の解決はあり得ない。本土の国民には、基地問題は沖縄だけでなく、日本の課題として考えてもらいたい」 |