5月30日付琉球新報より転載
知事に聞く
辺野古基地絶対できぬ
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐり安倍政権と対立する翁長雄志知事が訪米直前に共同通信の単独会見に応じた。移設阻止への戦略は。安倍政治や本土世論への思いはー。(聞き手は共同通信編集局長・河原仁志)
−訪米の狙いは。
「私が自民党出身者として日米安保体制をよく理解していること、その上で辺野古に新基地を造ることは日米同盟、安保体制に相当の傷をつけますよ、と伝えることだ。なぜなら辺野古基地は絶対できないからだ。米国は安倍晋三首相が強引に造るだろうと思っているかもしれないが、それは難しい。」
「この問題は日本の国内問題だというかもしれないが、県民からしたら米国も当事者だ」
矛先は嘉手納にも
−辺野古移設阻止に向けた戦略は。
「埋め立て承認に関する有識者委員会から承認取り消しが提言されれば取り消すことになる。阻止に向けた知事の権限は10ほどある。私たちが同意しないとできない。国は裁判に訴えて、結論が出るまでは工事をやるかもしれないが、沖縄の自治の気概は本土の人と全然違う。抵抗する様子が映像として世界に送られたら日米同盟など持たない。沖縄の自治権は与えられたものではない。復帰後も含めて勝ち取ってきたものだ。この点を見くびると日米同盟は砂上の楼閣になる。」
「世界一危険な普天間飛行場を固定化してしまえば、一つ何か落ちただけで『もう普天間は駄目だ』となる。その矛先は次に嘉手納基地に向う。米国が最も恐れているのはその点だと思っている。今は普天間だけが話題になっているが、私たちの目が嘉手納に向いたときの恐ろしさを米国は大変警戒している」
−本土の人の多くが沖縄基地を地政学や抑止力の観点から見ています。
「日米首脳会談や日米防衛協力指針(ガイドライン)再改定では中東まで視野に入れた積極的平和主義と言っている。そうすると沖縄の地政学的な位置づけとは何なのかとなる。中国の最新鋭ミサイルを考慮すれば、沖縄はむしろ近すぎて危ないと言う指摘もある」
「安全保障は日本全体で、と言うのに本土のどこも受けてくれない。沖縄にあるのは(地政学的理由ではなく)他が受けないから。新たに造るのは大変だが既にあるところは慣れているし振興策でごまかせるだろうと。除染廃棄物の中間貯蔵施設を福島に、というのも同じ発想だ」
深み失う自民党
−今の自民党をどう見ていますか。
「私が県議だったころ、沖縄に来た野中広務(元官房長官)さんは『翁長君、こうだ、申し訳ない』と言って頭を下げた。後藤田正晴(元官房長官)さんは『かわいそうでな。真っ正面から顔を見ることができないんだよ』と言って沖縄入りを渋ったそうだ。橋本龍太郎(元首相)さんは自民党総裁室前で順番待ちしていた私たちを行列の最後尾に回して『ごめん、沖縄を5分で帰すわけにはいかないんだ』と言ってくれた。みんな田中派・経世会系だ。国民とつながる心のひだを持っていたと思う」
「小選挙区制になったことも大きい。中選挙区時代はタカ派、リベラル派と違うタイプがたくさんいた。深みがあった。小泉純一郎(元首相)さんが政権を取ったころから自民党は変わった」
改憲より地位協定改定
−米軍新型輸送機オスプレイ配備阻止行動で東京都内をデモしたとき、ヘイトスピーチよりも無関心で通り過ぎる人たちにショックを受けたと。
「寂しかった。本土の人にどういう言葉を使えばいいか大変悩む。基地経済を謳歌しているのではないかとか、振興策でいいですねとか(言われる)。そういうことじゃないんですけどね、と言いながら、短時間では舌足らずで流してしまうつらさは沖縄の人はみんな持っている」
「米兵に暴行された女の子が道に捨てられ、犯人は無罪で本国に帰ったこともあった。こういった幾多の屈辱は県民は忘れようと思っても忘れられない。いつまでも昔の話をしないで未来に向かってと本土の人は言うけれど、基地が固定化している限り私たちの記憶は消せない」
日本は独立国家か
−安倍晋三首相は憲法改正を政治目標にしています。
「改憲より日米地位協定の改定が先だ。日米対等を目指すと言いながら、日米合同委員会では恐ろしいくらいの従属関係だ。辺野古問題でも『外交は国の専権だ』と言うなら、日本は本当に独立国家かという点まで議論しなければならない」
−安保法制の整備をどう見ていますか。
「中国に対するコンプレックスではないか。軍事力だけでなく経済大国として台頭したことで、国民も、政治をやっている人も、いたくプライドを傷つけられた。安保法制の背景にはそんな感情があるのではないか」
「尖閣問題の発端をつくったのは石原慎太郎(元東京都知事)さんが『都が買う』と言って野田佳彦(前首相)さんが買ってしまったこと。それがなければ曖昧なまま多少はしのげた。安保法制には、それがしのげなくなってしまった結果の恐怖心もある」
ピエロになっても
−知事選出馬の経緯を。
「2013年11月に(当時幹事長の)石破茂さんに説得されて沖縄の自民党国会議員5人が辺野古移設を容認し、もうこういう人たちと政治を一緒にやってどうこうじゃないなと。誰がかわいそうって県民でしょ。で、昨年の3、4月くらいに女房にね、『俺、もう政治生命捨てようかな』と。当選するかは別に問題提起してやると」
「(出馬要請に来た)革新の皆さんには『イデオロギーよりアイデンティティーだよ』と言った。保守には『僕は県外移設だよ』と言った。その上で県内で保革がけんかして、上で笑っているのは日米両政府だと。保革を乗り越えないと沖縄はどうにもならない。それには保守の側から近寄らないと駄目だ」
−期待とともに圧力も大きいですね。
「人間の生き方として、私たちの不作為で子や孫にまた同じ年月を過ごさせるわけにはいかない。沖縄に生まれてきた政治家の宿命だ。ピエロになっても消されてもいいから言うべきことを言わないと。身を捨てる気持ちがないとできない。政治家は使い捨て。私のみじめさは何でもないが、県民のみじめさは絶対あってはならない」