私に石垣島への辞令がでたのは去年の4月。石垣島にある営業所副所長の辞令だった。那覇での生活が10年,そろそろ先島への異動かな,などと考えていた矢先だった。家族と離れての初めての単身生活。五拾近くになって、なんで〜、と妻はいうが、サラリーマンの宿命だ。なんで〜とは言いながらどこかうきうきしているようにも見える妻。うるさいだんなと少し距離を置く生活にどこか期待しているようだ。 私だって五拾歳を迎える寸前の一人暮らしだ。不安を抱えつつも新しい生活への期待もある。どんな期待かと聞かれてもいろいろである。期待と不安の中、石垣行きの機中で珍しいものを見た。眼下に見る虹である。ほのかに私の心が明るくなったのはいうまでもない。
やがて、事務所の敷地内にある社宅での生活が始まった。事務所は市内の登野城と呼ばれている地域にあった。敷地の隣には御獄(うたき)と呼ばれる拝所(うがんじゅ)がある。御獄は人々の信仰の対象となっているところ。御獄の敷地は地域の人々によって掃き清められ、常にきれいにされている。御獄は樹木が生い茂り荘厳な雰囲気を醸し出す。まつりごとの中心は御獄であり、御願(ウガミ)や厄払いもここで行われる。
社宅の敷地は、結構な広さがあり小さな家庭菜園を作ることができた。社宅の敷地には先住民がいた。セマルハコガメである