某紙の日曜評論で、今後の沖縄の基地政策についての提案があったが、私は異なる意見を持っている。同評論によれば、今後の沖縄の基地政策について、普天間飛行場の嘉手納統合を受入れ、その前提として沖縄全体の基地の縮小という実を取るという手法が主張された。たしかに、散在する基地をまとめて、全体としての縮小を図るというのは、一つの案としては理解できる。しかし、これまでの基地政策が基地の整理縮小に至らなかったことや演習の移転が必ずしも飛行機の爆音の軽減につながらない等の現実からすれば、単なる口約束、仮に書面化したとしても、米軍基地の運用がすべて米国に委ねられている現状ではその効果は期待できない。昨年11月7日に沖縄県読谷村で発生した轢き逃げ事件にもみられるように繰り返される米軍人等による事件・事故について日米地位協定の運用の改善はもちろん、同協定の改定作業さえも遅々として進まない現状においては、なおさらである。
それでは、政権交代を機に動き出した基地負担軽減の方向性に向けて、沖縄は何をすべきか。なすべきことは、沖縄のために何が必要かを徹底的に主張することである。日本防衛、アジアの安定等々・・・、すべての沖縄に関わる環境を排し、沖縄にとって何が必要かを考える。そうでなければ、結局、これまでどおりの基地負担を受け入れざるを得ない環境に置かれてしまうのではないかと危惧する。今、沖縄の民意は一つの方向に向かっている。エゴイストと言われるくらいに沖縄の主張を繰り返すことが必要ではないかと思う。
沖縄経済の米軍基地関連収入への依存度は決して低くない。それがなければ成り立たないということではないだろうが、それを失うことにより発生する影響が大きいことは想像に難くない。したがって、沖縄のために何が必要かを徹底的に主張することは、つまり、沖縄が覚悟することにもつながり、その決意が求められる。
現実路線への転換は、進みつつある沖縄の基地負担軽減の速度を減速若しくは停止させる効果しか生まないのではないか。沖縄が選んではならない選択肢の一つであると思う。