3月26日、足利再審事件の菅谷さんに対し、宇都宮地裁は無罪判決を言い渡した後、合議体の裁判官3名が謝罪した。謝罪の言葉の中で、裁判長は、「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半もの長きにわたり自由を奪う結果となりましたことを、この事件の公判審理を担当した裁判官として、誠に申し訳なく思います。」と述べたという。
裁判官は憲法によりその地位の独立が保障されている。憲法第76条3項には『すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。 』と規定されている。裁判官の職務は裁判官の良心に従って行われ、これに制限を加えることができるのは憲法と他の法律のみであるとされている。
今回の宇都宮地裁裁判官3名の謝罪はその良心に従って行われたものであり、謝罪の言葉の中の「このような取り返しのつかない事態を思うにつけ、二度とこのようなことを起こしてはならないという思いを強くしています。」とのくだりは、担当裁判官の決意ではあるが、それだけにとどまらず、司法全体の覚悟を示したものと言えるのではないだろうか。
菅谷さんを免罪に陥れた決め手はDNA鑑定と自白であったとされているが、再審ではそのいづれも誤りであったことが指摘されている。
支援団体は、当時のDNA鑑定鑑定の精度の低さについて早くから指摘されていたにもかかわらず再審請求が認められなかったことについても問題点を指摘している。
司法制度改革において、裁判の迅速化が求められる中で、誤った裁判における救済においても迅速化が求められることを、この事件の教訓として学ばなければならないと思う。裁判の過ちを救済できるのは裁判所のみなのだから。