県内では「4.25県民大会in読谷」の準備が進んでいるが、本大会の意味するところについて考えてみた。普天間飛行場移設先自治体の長や県知事の新飛行場受入れの際には必ずこの言葉が使われてきた。「苦渋の決断」である。
進んで受け入れるわけではないが、当該地域の経済状況、日本防衛、日米関係の重要性等々の観点から、相応の補償や財政援助を受けることを条件に受入れを決めてきた。そこでは戦後沖縄が在日米軍基地の拠点として位置づけられてきた歴史の中で、その重要性が更に高まってきたことを理由として、苦渋の決断をしたなどと説明される。
しかし、現実はどうか。在沖米軍基地の当初の大義名分であった冷戦構造が完全に消滅したのにもかかわらず、沖縄の基地負担は軽減されていない。それどころか基地機能は強化され、例えば嘉手納基地の爆音被害を減少させるための協定も絵に描いた餅でしかなく、一部訓練が移転されても外来機による訓練が行われるなど、基地負担の軽減には程遠いのが現実である。これらの現実を踏まえて、宮城嘉手納町長は、普天間飛行場の機能一部統合案などは到底受け入れられず、苦渋の決断はしないと明言している。
これまで、基地負担の軽減は、政府にお願いして実現してもらうものと考えてきた。しかし、これからは違う。沖縄が自らの手で実現しなければならない課題であることが明白になった今、本大会は、沖縄はこれ以上苦渋の決断はしない、と明言し、発信する機会としなければならない。
ならば、発信者は誰か、県民の代表者である仲井真知事でなければならない。
県民意思の代弁者たる自覚がなければ、沖縄県知事たる資格はないと考えるのだが、いかがだろうか。