昨日の県民大会に参加しました。参加者は9万人。その他宮古地区大会で200人、。八重山地区大会で3000人が連帯の集会が開催されたと、大会事務局報告からの報告がありました。
私と妻は午後3時の開会に間に合わせて、午後2時に自宅を出発して会場の読谷村広場に向かいました。嘉手納町内の自宅を出て、国道58号線沿いに北上するルートを取ったのですが、すでに国道は大渋滞。写真は読谷村大湾交差点から嘉手納町側を撮った写真です。報道によれば、この時点で、すでに10キロにわたる大渋滞が発生していたとのことでうす。
私と妻は自宅から約5キロの道のりを徒歩で会場に向かいました。途中、徒歩で向かう家族連れや自転車で向かっている人も。渋滞のせいで、徒歩もバスでの移動もほとんど到着時刻が変わらない状況になりました。
2時55分会場入口到着。私たちが会場内入る同時に大会が始まる。出席が危ぶまれていた仲井真知事も登壇している。しかし、大会のシンボルカラーの黄色ではなく青のかりゆしウェアーに身を包んでいる。大会実行委員長の翁長那覇市長のあいさつに始まり、いよいよ仲井真知事のあいさつ。しかし、本大会スローガンである普天間基地の県外・国外移転の言葉がなかなか出てこない。先の衆議院選挙における公約の実現、沖縄の過重な基地負担の軽減を求めるとの力強いメッセージを述べるものの、ついに最後まで普天間基地の県外・国外移転という言葉は発させられなかった。
県内すべてての市町村首長及び議会議長の参加、自民党から共産党まで党派を超えた大会の中で、県民の代表である仲井真知事が最後まで普天間基地の県外・国外移転に言及しなかったのは何故か。実はそこに沖縄が抱え続けている基地問題の根本があるように思う。
知事の姿勢はそれなりの理由があるのだろうが、日米政府に沖縄の意思とは異なる謝ったメッセージを送ることにはならないか危惧する。その危惧とは、いづれは沖縄は苦渋の決断をするだろうという期待である。今回の大会が、沖縄は二度と苦渋の決断はしない、という意思を示したのであり、その意思に基づいて行動する出発点とならなければならない。
大会の締めに全員が行ったガンバロー三唱はその名のとおり、沖縄が基地負担軽減に向けて不退転の決意を示したものであり、日米両政府はこの事実を曲解することなく、真正面から受け止めるべきである。
これだけの人が集まる集会への参加は2度目である。1度目は少女暴行事件に抗議する集会で宜野湾市で開催された。参加者8万人であった。当時の太田知事が冒頭のあいさつの中で少女を守れなかったことを詫びた瞬間に会場が息をのみ静まり返ったのを思い出す。大会参加者全員が悔しさと憤りを感じた大会だった。
あれから何年経ったのだろうか。沖縄の基地負担の状況には何ら変化はない。その後、沖縄国際大学にヘリが墜落し、普天間飛行場が極めて危険な基地であることが判明しても、基地の閉鎖すら実現しない現状が何を意味するのか。そして、沖縄はこれからも基地負担を甘受しなければならないのか。待っていては何も始まらない。今大会を沖縄から行動を起こす出発点としなければならない。
大会は午後4時40分に終了。9万人が一度に帰途につくのである。会場内周辺は人の波と車で大渋滞。大渋滞で会場に到着できなかった人も多かったとのこと。確かに、帰途の途中にもかかわらず北上の車は渋滞が続いていた。大会終了時刻になっても大会に向かう車の流れが続いていたのは、この大会への県民の思い入れの深さを物語っている。
私と妻は徒歩で帰途についたのだが、自宅に到着したのは午後6時前。かなりの疲れを感じながらも心は充実感に満たされていた。
普天間「県外へ」決議、知事は明言せず 沖縄県民大会 (2010年4月25日付朝日新聞) |