普天間問題については、多くの識者・論者が論評し、様々なシンポジウムも開催され議論されている。それらを見ていると、鳩山首相が辺野古現行案回帰の理由とした沖縄の海兵隊の抑止論は完全に否定されている。抑止力そのものの否定はもちろん、抑止力を肯定する論者からも、必ずしも沖縄に配備すべき必然性はないと指摘されている。
それでは、何故、辺野古なのか。
辺野古回帰を決断した鳩山首相に対しては、支持率低下による辞任の憶測も飛び交う現状であるが、功績も指摘されている。それは、沖縄が基地の移転ではなく基地の撤去、閉鎖を求めていることを全国に認知させたことだという。ある記事では「沖縄には基地が必要で、基地がなければ沖縄も食っていけない、と(日本)国民が思いこまされている。」と指摘し、また「(沖縄の基地が)あまりにも長期間、制度化されたため、人々は今までどおりにするのが自然だと思い込んでしまっている。」との指摘もある。
あらためて、何故、辺野古なのか。
その方が、日米両政府にとって都合がいいから、である。
沖縄の基地問題の根本的解決には、日本政府、日本国民の抱く米国神話からの脱却が必要であるが、これには時間がかかる。
それでは、今、沖縄はどうすべきか、である。
沖縄にはこれ以上の基地は不要であること。その意思を全国民に発信し続けることである。
同時に、米国あてにも発信する必要がありそうだ。どうもこの問題、米国政府には沖縄の意思が伝わっていないようである。沖縄の現状がどれほど、オバマ政権中枢まで伝わっているのか疑問なのである。
鳩山首相来沖で、沖縄が荒れていた日に、辺野古では組運動会が開催され、海兵隊と楽しむ住民の姿が報道された。その報道を根拠に辺野古反対派は一部ですよと報告されれば、真に受けてしまうかもしれない。
沖縄の進む道は、あきらめずに前に進むことである。そのたえめには1人1人ができる範囲のことを、できる限り実践することに尽きる。あきらめてはいけない。私はそう思う。