昨日(7月31日)、「歸國」(作・演出倉本聰)を観てきた。沖縄県読谷村の「鳳ホール」での公演である。感激したというのが第一印象だ。2度のカーテンコールが終わっても、なかなか鳴りやまない拍手が感動の大きさを示していた。いつになったら鳴りやむのだろうという程の拍手にも感動し、私自身、拍手を止めることができなかった。
去る大戦で南の海で戦死した英霊たちが東京に現れた。英霊たちはそれぞれの思いを抱きながら、東京の街へ繰り出す。
衝撃的だったのは、かつて手紙等の検閲を担当していた兵士だった。軍の命令どおりに検閲作業を行っていた彼はやがて組織の中で孤立していく。兵隊たちの家族あての大事な手紙。その中で妻や恋人への思いを書いた手紙は軍規に沿わないとして、墨を入れたり、破いて廃棄するのが彼の仕事だ。孤立していった彼は自殺してしまう。自殺した彼は英霊になれず、靖国神社に祀られることもなく、首をつったまま幽霊となって現れる。彼は、自らの行為について懺悔を独白し続ける。
かつて上官だった老人が登場しての独白も衝撃的だ。自らの勇気のなさ、保身のために部下たちを守り切れなかったことを懺悔する。105歳まで生きてきたというその老人は、死にきれなかった自分自身の生き恥を晒すのが自らの責任であると語る。今日はお盆で英霊たちが戻ってくると独白しながら、火を灯そうとするが、なかなか灯りがつかない。やがてホームの職員らしき女性が現れ連れて行ってしまう。
あの戦争はなんだったのか。そして、あの戦争で犠牲になった人々のうえに繁栄を築いた今の日本の姿は、本当に仕合せなのか。
英霊たちが眠る靖国神社を国の指導者が参拝しないことへの英霊の不満は説得力がある。戦犯が合祀されていことの問題点の指摘は、英霊たちを納得させることができるのだろうか。
英霊たちの戦死は、軍の、国の命令であり、そしてそれは、国民が望むところであるとされてきた。そして、戦後、そのことへの、国の、国民の反省はあったのか。
それと舞台装置がすばらしかった。映像なのか、舞台なのか区別がつかない場面がいくつかあった。言葉と、音楽と、映像がひとつになっていた。これまでにもいくつかの演劇を観たことがあったが、その表現方法の進歩に驚いた。
そんな思いを胸に、鳳ホールを後にした。