初公判を終えた小沢氏の記者会見を視たが、その主張は、これまでどおり身の潔白を示したものだった。
今回の強制起訴については、検察の小沢一郎個人を狙った違法な捜査によって収集された証拠によりなされた検察審査会の誤った判断である、と断定し、即時中止すべきであると述べる一方、検察捜査の違法性を厳しく糾弾し、我国憲政史上に残る最大の汚点とまで表現した。
更に、最大の争点となっている4億円の出所については、自分のお金である、とし、1年にわたる検察の強制捜査を受けたのだから検察に聞いてくれ、と述べ詳細を明らかにしなかった。
国会での説明責任についての記者の質問に対して、小沢氏は、国権の三権のひとつである司法の場で裁かれているときに、国会の場で事件について釈明することは疑問であると述べた。しかし、小沢氏自身も述べるとおり、国会議員は選挙によって国民からの負託を受けている。ならば、国会の場で国民に説明することは議員としての責任を果たすことに他ならない。
ただ、今回の検察審査会の判断が、小沢氏の容疑について立証されているという判断ではなく、立証されているのか否か裁判所への判断を委ねたいという理由で起訴相当の判断がなされたというのは問題を含んでいる。
東京第5検察審査会の議決の要旨には、「本件事案については、被疑者を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべきである。」とし、本件事案についての判断を裁判所に委ねた形になっている。
本来の刑事事件の構図は検察官が起訴し、裁判所はその起訴内容について判断することになるが、今回の小沢氏事件については、裁判所に起訴そのものの相当性についても判断を求めているようにも見える。
その意味において、今回の裁判の結果如何では、検察審査会制度の在り方についても議論が起こる可能性がある。
裁判所が、起訴事実についてどのような判断をくだすかはもちろん、検察審査会の起訴相当判断そのものについてもどのような判断をくだすのか注視したい。