昨日6月23日の慰霊の日、私は宜野湾市立野球場にいた。息子(三男)が所属する嘉手納高校野球部の夏の甲子園沖縄県予選、対首里東高校との試合を応援するためである。
スコアボードの時計が11時50分を差したとき。突然、主審が試合を止め、バックネット後方の大会本部に声を掛けた。主審は、選手たちにも声をかけ、マスクはずし、脱帽し、南の方角を向き直立した。時報が正午を告げ、球場アナウンスが黙とう開始を告げる。黙とうを呼び掛ける宜野湾市内のサイレンと球場のサイレンがこだまする。それまで両校の応援合戦の賑やかさは静寂に変わった。1分間の黙とうが終わった。
糸満市摩文仁の平和記念公園では沖縄全戦没者追悼式典が開催された。式典で、野田首相はあいさつの中で次のように述べた。
「沖縄の苦難の歴史に思いをはせるとき」、「沖縄県民斯く戦えり。・・後世特別の御高配を賜らんことを」という大田中将の言葉を思い起すとし、沖縄の思いを日本全体で分かち合う努力を尽くしているか、問うた。
沖縄の答えは「否」である。日本政府の答えも「否」に違いない。最高責任者の首相が自ら、「尽くしているか」と問うているのだから。
それならば、これからどうするのか。
しかし、その後が問題だ。「国の安全保障に万全を期すことは、国政をあずかる者の務めだ。わずかなりともおろそかにすることはできない。」 として、国の安全保障のためには更なる沖縄への基地負担を強いることも仕方がない、との姿勢を示した。辺野古への新基地建設、オスプレイ配備等々・・。現状の追認である。
沖縄の民意は日本の安全保障の前では取るに足らないものだ。「国の安全保障・・は、・・わずかなりともおろそかにすることはできない」ものだから、沖縄への基地の押し付けはこれからも続く、と宣言したも同様である。
「基地負担の早期軽減に全力を尽くし、目に見える形で進展させることをあらためて誓う。」という言葉も、現状の追認を宣言したあいさつ全文の中では、空文にすぎない。沖縄県民はおろか、誰も言葉どおりの誓いを信じる者はいない。
米国は、あいつぐ墜落事故にもかかわらず、オスプレイ配備は予定どおりに行うと通告してきたという。
沖縄のオスプレイ配備阻止、辺野古基地建設阻止、高江ヘリポート建設阻止等々・・の闘いはまだまだまだまだまだまだ続くことになる。
【参考】以下は本日付沖縄タイムス掲載「首相あいさつ要旨」からの抜粋である。
・・苛烈で凄惨な戦闘だった・・沖縄戦から67年目となる初夏を迎えた。 沖縄の苦難の歴史に思いをはせるとき、・・大田実中将の最期の言葉を思い起(す)・・。 「沖縄県民斯く戦えり。・・後世特別の御高配を賜らんことを」・・、祈りにも似た悲痛な願いだ。・・常に問い直さなければならない。沖縄の・・思いを全ての日本人で分かち合おうする格別の努力を尽くして・・いるだろうか、と。 戦争の惨禍を二度と繰り返さないために、国の安全保障に万全を期すことは、国政をあずかる者の務めだ。わずかなりともおろそかにすることはできない。 他方、現在も沖縄に米軍基地が集中し、県民に長年多大な負担をかけている事は実に慚愧に堪えない。基地負担の早期軽減に全力を尽くし、目に見える形で進展させることをあらためて誓う。今日のわが国の平和と繁栄は戦没者の犠牲の上に築かれている。・・戦没者の悲痛な思いを受け継ぎ、わが国は不戦の誓いを堅持する。 |