日米両政府は、選挙で示された沖縄の民意の実現に向けて行動せよ!!!〜ジャン・ユンカーマン氏インタビューを読んで〜
翁長知事の、前知事の埋立承認の取消等判断が迫る。
本HM記事“辺野古埋立承認を検証する沖縄県第三者委員会の翁長知事への報告は7月内〜翁長知事の決断の日は迫っている〜” にも紹介したように、第三者委員会の報告が7月内、それを受けての翁長知事の決断が迫る。
しかし、埋立承認が取消等されたとしても、日本政府は辺野古新基地建設を強行するとの姿勢が示されている。
昨年の沖縄知事選挙を始めとする一連の選挙で示された沖縄の民意を踏みにじる姿勢を、日本政府は変えようとしない。さらに、これに同調するかのように米国政府は、新基地建設を支持し、さらに日本政府に基地建設を指示する。
何故か。この問いに6月17日付琉球新報に掲載された記事「正義の責任」での映画監督ジャン・ユンカーマン氏の指摘は的確だ。映画『沖縄うりずんの雨(戦後70年、沖縄は問いかける)』について語る中での、この何故に対する指摘は、今後の沖縄の闘いの方向性を示す。
氏は、辺野古問題の根源を次のように指摘する。
この映画を制作するにつれて見えてきたことは、辺野古の問題の根源には、この米国にとっての「戦利品」という理解と、日本の沖縄に対する差別が相互に強化し合う形で存在するということだ。日沖、米沖間の関係のこのような性質がなければ、沖縄にさらにもう一つの基地を造るなど考え付きもしないだろう。このような言語道断の計画は、他に解釈のしようがない。 |
沖縄戦の実相を観れば、米政府の意図は明白だ。80万人の島民が生活する小さな島を占領するのに、50万人の兵員を投入し、嘉手納の海を軍艦で覆い尽くし、艦砲射撃で島を攻撃し、人命とともに集落を焼き尽くした。上陸後は機銃、爆弾、火炎放射器等あらゆる銃火器を使って集落を、島民を焼き尽くし、20万人もの人命を奪った。米国政府の目的は沖縄の占領にあったに違いない。
その後の沖縄の歴史は、米政府の意図を明確にする。
この横暴な日米両政府に沖縄は如何に抵抗し、運動を継続すべきか。これに対しても、ジャン・ユンカーマン氏の指摘は、私たちに自信をもたらす。
沖縄では、このような扱いに対する静かで確固たる怒りが反対運動の原動力となってきている。不利な闘いを強いられているにもかかわらず、この運動が拡大してきているのは、このような不当な扱いに対する認識が広まってきているからであろう。同時に、私はこの運動に浸透している希望というものに深い感動を覚えている。これは米国の公民権運動を思い起こさせるものであり、公民権運動と同様、最後には人間性と平等が不正義に打ち克つという確信によって支えられてきている。 |
ウチナーンチュは、戦後の米軍施政権下においても、その後復帰後も、米政府、日本政府と闘ってきた。しかしそれは、闘いたくて闘ってきたのではない。闘わなければ、自らの生命・身体・財産、沖縄の尊厳そのものが守れなかったからだと。そう指摘するのは、私が師と仰ぐ、有銘先生の言葉だ。
沖縄から米軍が撤退したら中国が攻めてくるという中国脅威論を唱える輩がいる。中国が攻めてきたら、うちなーんちゅは、これまで日米両政府と闘ってきたように、闘うに違いない。武器もないのにどうするのか、と問われれば日米両政府とも武器もなし闘ってきた。武器は唯一つ、民主主義だ。
借金まみれのギリシャでは、国民投票で緊縮財政拒否の民意が示された。EU諸国はその民意を受け入れ対応策を協議している。
日米両政府はどうか。昨年1年間のすべての選挙で示された沖縄の民意を一顧だにしない姿勢を取り続けている。日米両国の政治の堕落である。
政治家は、選挙民の投票によって選ばれた。そうであれば、場所が違えど選挙によって示された選挙民の民意は当然に尊重すべきだ。民意を無視することは自らを政治家たらしめている、民主主義の根幹である選挙制度を否定するものであり、自らを否定することに他ならない。
日米両政府は、この事実に向き合い、沖縄の民意の実現に向けて行動すべきである。