2月9日に判決が言い渡された、米国を被告とした対米訴訟判決(第三次嘉手納基地爆音差止訴訟)。
「不当判決」 「まるで植民地」 「訴状送達すら行わず」 まったくその通りだ。
判決の内容は、嘉手納基地周辺住民の爆音被害を一切顧みない、不当判決だ。
判決は対米訴訟判決.pdfのとおり。
本裁判の結論は、日本が同意して、駐留する米軍の主権行為については、裁判権免除を与えるという限度で国際慣習法が存在するから、今回の対米訴訟は、裁判権のない裁判だから認められない、だから訴状さえも米国に送らなかった、というのだ。
外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律(クリックで電子政府HMへ飛びます)第10条には、「人の死亡若しくは傷害又は有体物の滅失若しくは毀損」が生じた場合は、例え外国の主権行為であっても裁判権は免除しないと規定する。しかし、裁判所は、もともと裁判権は免除されている(同法第3条)から、嘉手納基地周辺住民は、米国に対して、爆音被害除去を求める裁判を起こすことはできないというのだ。
今回の判決が恐ろしいのは、米軍の行為(主権行為)によって、付近住民が死亡したり傷害を負ったり、建物等の財産が破壊されても、被害を受けた嘉手納基地周辺住民は、米国を相手として裁判は起こせない、という点だ。
つまり、米軍機が墜落し、宮森小ジェット機墜落事故や川崎ジェット機墜落事故のような大参事が発生しても、被害住民は米国に対して、裁判も起こせない、何もできないということになる。
さらに、今回の裁判の問題点は訴状が米国に送達されていない点だ。本来、裁判が提起されると、裁判の相手方に送達されるのが通常だ。裁判が提起されたこと、そして、提訴された裁判の内容を相手方に伝える。そのために提訴された訴状を相手方に送達(郵送)する。今回、裁判所は、それさえも行っていない。
判決の中では、裁判所は、原告の主張に対し、詳細に反論している。まるで、裁判所が米国の代理人であるかのように。
判決後の記者会見で、弁護団から、本来被告米国とすべき議論を、裁判所としなければならない現状には非常に虚しさを覚える、との指摘があった。
正に「まるで植民地裁判所」だ。
以上の事実は、何も沖縄だけの問題ではない。米軍基地が存在する日本全国の問題だ。
米国隷従国家日本を象徴するのが今回の判決だ。
日本政府に対して爆音被害除去を求めれば、米軍の行為には何も言えない(第三者行為論)で救済の途を絶たれ。ならばと、米国に対して爆音被害除去を求めれば、日本の裁判所には裁判権が無いとして門前払いされる。
政府にも、司法にも見放された沖縄に残された途は、自力救済の途しかない。
その途を本気で模索しなければならない。