「彼の国民たちは自分たちが免責されたと感じました。」
ヘルムート・オルトナー は、自著「ヒトラーの裁判官フライスラー」の冒頭で指摘する。
去る大戦の戦争責任について、連合軍の意向で天皇の戦争責任を免れ、A級戦犯東条英機等が絞首刑されることによって、日本人は免責されたと感じた、というのだ。
果たして、日本人は戦争責任を免責されたのか?
当該部分を以下に引用する。
裕仁天皇は一九四四年半ばに戦争を終結させる方途を探っていたとする資料があります。それが実を結ばなかったことについて、擁護者たちは当時も今も、支配的な軍部に対する彼の無力の証拠と評価しています。しかし天皇の名のもとに数百万、数千万の人々が死んだのであり、その天皇が絞首刑に処せられるいわれは本当になかったのでしょうか。敵の憎しみの対象となった東条英機陸軍大将をはじめとする他の戦犯たちのように、絞首刑台という選択肢はなかったのでしょうか。天皇の責任を要求したのは中国人、朝鮮人、フィリピン人、インドネシア人だけではありませんでした。米国でのギャロップ世論調査は一九四五年七月末(つまり二個の原爆が投下された八月六日と九日より前)に、七〇パーセントの多数が、天皇裕仁に死刑又は少なくとも重罰を望んでいることを明らかにしました。 しかし米軍による天皇の処刑または降位処分は禁忌となります。太平洋島嶼部での戦闘で多くの血を流したアメリカ人たちの侮辱と人種的憎悪は、ことごとく東条とその「悪辣なる軍人たち」に向けられました。東条が一九四七年一二月三一日に法廷で、天皇の至高の権威という点に言い及んだとき、審理は中断されました。アメリカの検事たちは、天皇に不利となる発言を控えるように東条に対して強制したのです。その目的は皇室と軍政府との間に「楔を打ち込む」こと、そして地下に押しやられた「保守的で寛容な」エリートたちを再び活性化させること。公式の政治的指針ではそのようにされていりました。 失敗に終わった自殺の試みの後で、ニューヨーク・タイムズ紙から日本のヒトラーとまで呼ばれた東条英機は、一九四八年に処刑されます。裕仁天皇は一九八九年、日本が未曽有の好景気を迎えていたときに安らかに崩御されました。勝利者側の意向で天皇が戦争責任を免れたことにより、彼の国民たちは自分たちが免責されたと感じました。 かくして日本にはあらゆる価値が崩壊する「ゼロ時間」が一度も存在しませんでした。 (ヒトラーの裁判官フライスラー ヘルムー・オルトナー著の冒頭「記憶と忘却について 日本語版読者のみなさまへより) |