沖縄の諸課題を解決し、真に平和で豊かな沖縄県を目指す本土復帰50年に関する意見書 令和4年5月15日、沖縄県は、本土復帰50年を迎える。 沖縄は、20万人余の貴い命が失われたさきの大戦により住民の4人に1人が犠牲となり、多くの財産や貴重な文化財を失うなど甚大な惨禍を被った。終戦直後の占領とサンフランシスコ講和条約の締結による27年間の米国の施政権下で住民の基本的人権はなおざりにされ、社会資本の整備や産業の発展も立ち遅れるなど苦難な道を歩んできた。 昭和27年4月、琉球政府の設立と併せて発足した立法院は、米国の施政権下にありながら沖縄を代表する機関としての役割を果たし、復帰までの20年間、その権能を発揮して住民の福祉向上のための立法、住民の権利獲得のための決議等を精力的に行ってきた。 本土復帰により日本国憲法及び地方自治法の下で沖縄県の議事機関として歩み出した沖縄県議会は、これまでに先人らが築き上げた自由闊達な議論の尊重などの伝統を受け継ぎつつ、常に県民とともに世界の恒久平和を希求し、県民福祉の向上と産業振興・経済発展を目指して邁進してきた。 しかしながら、いまだ国際社会においては戦争の惨禍が繰り返され、県民が願う世界の恒久平和は実現されていない。また、本県は、さきの大戦や米国の統治による社会的損失と負荷が大きい中、国による5次にわたる沖縄振興策により社会資本が整備され県民生活は向上したものの、いまだ県民所得は全国平均の7割程度に低迷し、子どもの貧困問題や脆弱な産業構造、依存型経済からの脱却など克服すべき課題が多く残されている。 加えて、国土面積の0.6%の沖縄に70.3%の米軍専用施設が集中し、この50年間に沖縄県議会が抗議のために議決した意見書及び決議の半数近くは米軍基地に関連するものであり、真に平和で豊かな県民生活の実現は達成されていない。 沖縄県議会は、本県がさきの大戦とその後の苦難の歴史を継承し、再び戦争を繰り返さないという決意の下、平和創造の拠点として教育、文化・芸術、学術、医療、経済、スポーツ、そして国際交流や人材育成などの各分野で国際社会における役割を果たしつつ、自立型経済を基盤とする強い沖縄経済を構築することによる真に豊かな県民生活を実現するとともに、海洋立国としての我が国の発展と平和に寄与することにより次代を担う新たな沖縄の創造へ進むことが、県民の総意と確信する。 そして、本土復帰50年を迎えるに当たり、二元代表の一翼を担う議事機関として戦前・戦中・戦後の沖縄県の歩みを振り返るとともに歴史から学び、県民の総合的な福祉の向上のために、米軍基地から派生する事件・事故の防止を含む米軍基地の負担軽減と地域振興に向け、不断の努力を改めて決意する。 同時に、政府に対しては、普天間飛行場の早期閉鎖と早期返還、米軍専用施設の大幅な整理縮小、日米地位協定の抜本的改定を求めるとともに、東アジアの中心に位置する地理的優位性を最大限に生かし、万国津梁の精神の下、沖縄県の自立と自主性が尊重された総合的かつ大胆で持続可能な振興発展と、真に豊かな沖縄経済を構築するため、米軍基地の跡地活用を視野に入れた経済振興、より安心安全で強靭な観光産業の確立、海洋立国としての我が国の発展に寄与する新たな産業の創出に向けて取り組むことを強く要請する。 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。 令和4年5月13日 沖 縄 県 議 会 衆 議 院 議 長 参 議 院 議 長 内 閣 総 理 大 臣 他 宛 |