今日の慰霊の日追悼式での岸田首相のあいさつ。首相は「沖縄の皆様には、今もなお、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいています。」と述べた。沖縄は最大の基地負担を担っているのではない、「今なお国土面積の約0.6%しかない沖縄に、日本全体の米軍専用施設面積の約70.3%が集中しており、米軍基地から派生する事件・事故、航空機騒音、水質や土壌等の環境汚染など、県民は過重な基地負担を強いられ続けてい・・(デニー知事あいさつ)」るのだ。
沖縄が基地負担を「担う(自分の責任として身に引き受ける)」は誤り。
沖縄が自ら基地負担を担ったことはない。日本独立のために捨石として米国に売り渡され、日本本土から米軍基地が移設され、復帰後もその構図は全く変わらない。
爆音・排ガスなどの被害軽減要求、PFOA等による環境汚染の感染源を求める基地内立入要求、米軍機墜落・緊急着陸・部品落下等の原因究明・飛行禁止・再発防止策の要求、米兵の事件・事故防止策要求などなどの要求は実現されることなく放置され、沖縄県民の身体生命財産が危険に晒されている。さらに、基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因になっている現実の改善要求も放置され続けている。
沖縄は沖縄の声を上げ続けるしかないのだ。
岸田首相は認識をあらためよ!!!
玉城デニー知事平和宣言(令和4年)(全文はこちらをクリック 県HPへ)抜粋 ここ沖縄は、先の大戦において、一般住民を巻き込み、史上まれに見る苛(か)烈(れつ)を極めた地上戦の場となりました。 鉄の暴風は20万人余りの尊い命を奪い去り、貴重な文化遺産や緑豊かな自然を破壊しました。あれから77年目となる6月23日を迎えました。 戦争の不条理と残酷さを身をもって体験した県民は、一人一人の不断の努力と揺るぎない信念を持って、戦後の廃(はい)きょと混乱から懸命に立ち上がり、共に手を取り合って幾多の困難を乗り越えてきました。 今年、沖縄は本土復帰50年の節目の年です。 復帰の前年1971年、当時の琉球政府が日本政府・国会に提出した復帰措置に関する建議書においては、「基地のない平和の島」としての復帰を強く望むことが明確に記されております。 しかしながら、今なお国土面積の約0.6パーセントしかない沖縄に、日本全体の米軍専用施設面積の約70.3パーセントが集中しており、米軍基地から派生する事件・事故、航空機騒音、水質や土壌等の環境汚染など、県民は過重な基地負担を強いられ続けています。 ・・・・・ |
岸田文雄首相あいさつ(2022年6月23日沖縄全戦没者追悼式) 令和4年沖縄全戦没者追悼式が執り行われるに当たり、沖縄戦において、戦場に斃(たお)れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げます。 先の大戦において、ここ沖縄は、凄惨な地上戦の場となりました。20万人もの尊い命が失われ、沖縄の美しい自然、豊かな文化は容赦なく破壊されました。 平和の礎(いしじ)に刻まれた全ての戦没者の無念、御遺族の悲しみを思うとき、胸塞がる思いを禁じることができません。 今日私たちが享受している平和と繁栄は、命を落とされた方々の尊い犠牲と、沖縄の歩んだ苦難の歴史の上にある。そのことを深く胸に刻みながら、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います。 本年5月、沖縄の本土復帰から50年を迎えました。県民のたゆまぬ努力もあり、この間、沖縄は様々な困難を乗り越えながら、着実に発展してきました。沖縄経済は成長し、県民生活も大いに向上いたしました。 しかしながら、一人当たり県民所得の向上、子供の貧困の解消などの課題は、今なお残されています。 アジアの玄関口に位置する地理的特性。亜熱帯の美しい自然。「万国津梁(しんりょう)」の地として諸外国等との交流を重ねる中で育まれてきた国際色豊かな文化や伝統。これらはいずれも沖縄ならではの魅力、そして優位性です。 その潜在力を最大限に引き出し、強い沖縄経済が実現されるよう、そして、沖縄が21世紀の「万国津梁」の地となるよう、改正沖縄振興特別措置法等を最大限に活用しながら、沖縄振興に取り組んでまいります。 沖縄の皆様には、今もなお、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいています。政府として、このことを重く受け止め、引き続き、基地負担の軽減に全力で取り組んでまいります。 在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小を進めており、基地負担軽減の目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げてまいります。 戦後、我が国は、一貫して、平和国家として、その歩みを進め、世界の平和と繁栄のため、力を尽くしてまいりました。戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを貫き、世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中を実現するため、不断の努力を重ねていくことを、改めて、御霊にお誓い申し上げます。 結びに、この地に眠る御霊の安らかならんことを、そして御遺族の方々の御平安を心からお祈りし、私の挨拶といたします。 令和四年六月二十三日内閣総理大臣 岸田文雄 |