昨日(19日)の琉球新報の報道である。
政府は18日、日米地位協定について「2009年9月の政権発足以降、日米間で改定交渉は行っていない」とする答弁書を閣議決定した。・・照屋寛徳・・議員の質問主意書への答弁。
驚きである。一昨年9月の民主党政権発足時の民主党、社民党、国民新党の合意は「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」として、沖縄の基地問題解決に向けて決意が示された。そして11月7日には沖縄県読谷村で米兵によるひき逃げ死亡事件発生し、同事件に抗議する読谷村総決起大会が12月13日に開催され、約1500人が集まった。集会では容疑者の身柄引き渡しや日米地位協定の見直しを求める抗議文が決議された。
民主党・沖縄ビジョン(2008)詳細はこちらをクリック) では、在日米軍協定の見直しが掲げられている。だからこそ、鳩山前首相の「最低でも県外発言」とも相まって民主党政権が誕生したのである。
ここへきて、鳩山前首相の「抑止力は方便」発言により、普天間の国外・県外移設に向けた取り組みが政府として行われなかったことが明白となったが、それに加えて、日米地位協定の改定交渉が行われてこなかったことも明らかになったのである。信じ難い事実である。沖縄の民意が日米地位協定の改定について、常に声を上げ続けてきたにもかかわらず、政府では改定のテーブルにさえ着いていなかった。ことの真相は国会審議で明らかになると思うが、信じ難い事実である。
今年1月9,10日の両日に来沖した民主党の岡田幹事長は単独インタビュー(HM記事はこちら)で次のように述べている。
「日米地位協定は、日米合意をする過程でもさまざま議論をした。まずは環境面の問題について・・・協議するのがスタート。・・・全面的に改定するより、緊急度の高いものから着手する方向で考える。ただ、普天間の移転が進まない中で、・・・議論だけが先行するのは限界がある。ある意味で日米合意とパッケージだ」
日米地位協定改定の議論は普天間飛行場の辺野古移設が実現しなければ行えないとの発言であるが、その真意が今回さらに明白となった。政権発足以降1年6カ月の間、沖縄の基地負担の軽減を唱えながらも日米地位協定改定への努力をしてこなかったことを政権自らが認めた。
菅政権の沖縄問題に対する考え方がどこにあるのか、今週の国会の中で明らかになることを期待したい。