先月30日(平成23年5月30日)に、“日の丸・君が代訴訟上告審判決”が最高裁判所で言い渡された。
この判決は最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)によるものである。判決では、問題となった高等学校での校長による国家斉唱の際の起立斉唱命令は憲法には違反しないと結論付けている。
しかし、以下の判決要旨(報道からの抜粋)を見ると、合憲判断にはいたったものの、国家斉唱の際の起立斉唱命令についての問題点が指摘されている。それは、同命令が「個人の思想、良心の自由を直ちに制約するとは認められない。」としながらも、「歴史観や世界観に基づかない行動を求められる点で、思想、良心の自由を間接的に制約する。 」とし、命令の態様によって違憲となる可能性があることを指摘している点である。
その上で注目すべきは、5人の裁判官中2人が補足意見の中で、「思想、良心の自由の重みに照らし、命令に踏み切る前に、・・可能な限りの工夫と慎重な配慮が望まれる」と指摘し、「司法が職務命令を合憲、有効として・・もこの問題を社会的にも最終的に解決に導くことになるとはいえない」としている点である。
この判決が、直ちに、国家斉唱の際の起立斉唱命令にお墨付きを与えたわけではない、ことが確認できる。
【憲法19条違反の主張について】 公立学校での卒業式などの式典で・・国家斉唱の際の起立斉唱は、一般的式典における慣例上の儀礼的な行為としての性質を持つ。 起立斉唱はその性質上、元教諭の歴史観や世界観を否定することと不可欠に結びつくとはいえず、起立斉唱を求める職務命令は、歴史観や世界観自体を否定するとはいえない。 客観的にみても、特定の思想を持つことを強制したり、・・禁止したりするものではなく、特定の思想の有無の告白を強要するともいえない。 起立斉唱の職務命令は、個人の思想、良心の自由を直ちに制約するとは認められない。 もっとも、日の丸、君が代に対して敬意を表明できないとかんがえる者が、歴史観や世界観に基づかない行動を求められる点で、思想、良心の自由を間接的に制約する。 間接的な制約が許容されるかどうかは、職務命令の目的や内容、制約の態様などを総合的に比較して、許容できる程度の必要性と合理性がみとめられるかどうかという観点から判断するべきだ。 学校教育法は・・国家の現状と伝統についての正しい理解などを掲げ、学習指導要領も・・国旗国家条項を定めている。 地方公務員の地位や性質、職務の公共性に鑑み、元教諭は法令や職務上の命令に従わなければならない立場にあり、・・、校長からの本件の職命令を受けた。 (職務命令は)元教諭に対して卒業式での慣例上の儀礼的な行為として国家斉唱の際の起立斉唱を求める内容で、・・生徒への配慮も含めた秩序の確保や式典の円滑な進行を図るものだ。 職務命令は、思想、良心の自由について間接的な制約となる面はあるが、・・総合的に判断すれば、制約を許容できる程度の必要性と合理性が認められる。憲法19条に違反するとはいえない。 【須藤正彦裁判長の補足意見】 本件の職務命令のような不利益処分を伴う強制が、無用な混乱を生じさせ、教育現場を萎縮させるのであれば、教育の生命が失われることにもなりかねない。思想、良心の自由の重みに照らし、命令に踏み切る前に、寛容の精神の下に可能な限りの工夫と慎重な配慮が望まれる。 【千葉勝美裁判官の補足意見】 司法が職務命令を合憲、有効として決着されることが、必ずしもこの問題を社会的にも最終的に解決に導くことになるとはいえない。国旗国家に対する姿勢は思想信条に関連する微妙な領域の問題だ。国旗国家が、強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要である。 |
以下では平成23年5月30日から6月中旬にかけて出された判決をまとめてみた。これらを見ても最高裁判決が、直ちに、国家斉唱の際の起立斉唱命令にお墨付きを与えたわけではない、ことが確認できる。