2010年4月25日、読谷村で開催された「米軍普天間飛行場の沖縄県内への移設に反対する県民大会」。大会には読谷会場に9万人、八重山会場に3000人、宮古会場に200人の市民県民が参加し、さらに当時の仲井真知事の他、県内41市町村長(代理の2人を含む)全員が出席した。
大会では「米軍普天間飛行場の県内移設を断念し、国外・県外へ移設するよう強く求める」との決議を採択し、沖縄は二度と(基地受入れの)苦渋の決断をしないことを決意し、その意志を内外に示した。
そして、2010年11月28日の知事選挙。仲井真氏は「普天間は日米合意を見直し県外へ」を公約に掲げて当選した。さらに当選後のインタビューでも辺野古新基地建設阻止の意志を、以下の通り明確に示した。(詳細は本HM記事11.28沖縄県知事選(13) 〜仲井真知事再選後の発言〜参照)
「辺野古は何十年もかければできるかもしれないが、ヤマト(本土)を探した方が早い。県内はもうあきらめた方がいい。」ー記者からの「政府から公有水面埋め立て許可を求められた場合には?」の問いには |
ところが、2013年12月27日、仲井真知事は、突然公約を反故にし、辺野古埋立を承認した。わずか3年での公約撤回。県民の怒りは頂点に達した。
仲井真知事の裏切りに対する県民の応えが2014年11月16日の知事選挙だ。(詳細は本HM記事翁長雄志沖縄県知事が誕生。その意味は参照)
10万票差による翁長知事の誕生は、沖縄の民意が辺野古新基地建設阻止にあることを明確に示した。その後の名護市長選挙、衆参両議員選挙でも辺野古新基地建設阻止を掲げる候補が勝利してきたのは、その証だ。
ここで明らかになのは、沖縄の選挙では辺野古新基地賛成や米軍基地擁護を公約にしては勝てないということ。そのために、その後の選挙では政府自民党の選挙は「基地隠し」戦略を取るようになる。
今、政府自民党は沖縄戦略として次のことを狙っている。
①嘉手納基地より南の米軍基地を返還することにより、沖縄県内で基地の姿が見えないようにして、在沖米軍基地が選挙の争点にならないよう目論んでいる。選挙民数の多い那覇浦添等南部地域の票で選挙を勝ち抜く戦略だ。「辺野古の「へ」の字も言わない」戦略の完成を目論む。
②辺野古新基地問題については、進んでもいない埋立状況を繕い、県民の諦め感を誘い、辺野古新基地建設阻止の民意を骨抜きにする。
①の典型が今年2月の名護市長選挙だ。政府自民党候補は「辺野古の「へ」の字も言わない」戦略で勝利した。しかも5000票の大差だ。名護市民の最大関心事である辺野古新基地問題が争点とならなかったのは、正に政府自民党の思うつぼだった。
②の辺野古埋立の状況はどうか。
政府は、埋め立て計画の最後に行うとしていた浅瀬の埋立工事を先行して進めている。辺野古海域の断層問題や軟弱地盤問題も解決しないままに形だけを整え、県民の諦めを誘おうとしている。しかし、辺野古埋立工事は海面から10mの土を盛る大工事である。それを浅瀬埋立を見せつけ県民の諦めを誘おうしているのだ。県民騙し、子供騙しも甚だしい。
今、県民に求められるのは、政府の子ども騙しに惑わされることなく、2010年4月の「米軍普天間飛行場の沖縄県内への移設に反対する県民大会」で示された「沖縄は二度と(基地受入れの)苦渋の決断をしない」決意をあらためて内外に示すことである。
今、準備が進められている「県民投票」の取り組みもその延長線上でなければならない。「沖縄は二度と(基地受入れの)苦渋の決断をしない」決意を、あらために内外に示すのであり、決して「辺野古埋立に関する決着」ではない。
これまでの沖縄の平和運動を牽引してきた有銘(あるめ)氏は指摘する。「辺野古反対の闘いに、翁長知事が賛同し、闘いに参加しているからこそ、沖縄の民意は翁長知事を支えている。単に翁長知事を支持しているわけではない」と。
県民が10万票の大差で翁長知事を誕生させたのは、県民とともに辺野古埋立阻止の闘いに翁長知事が参加しているからに他ならない。翁長知事がなすべきは、辺野古埋立阻止のためのあらゆる手段を講じることであり、その最大の手段が撤回であることは間違いない。
朝鮮半島が和平構築に向けて動き出している今、朝鮮半島有事に備えて戦後沖縄に配備されてきた米海兵隊撤退の議論が出てくるのも必至の情勢だ。
今こそ、あらためて「沖縄は二度と(基地受入れの)苦渋の決断をしない」という沖縄の意志を明確に示し、辺野古新基地建設阻止の民意実現に向けてさらに闘いを進めることが必要だ。