今日、3月28日、浦添市美術館で開催中の『ピカソとルートヴィヒ美術館所蔵20世紀美術の巨匠たち 』を見てきた。2月6日から開催され、今日が最終日。見に行きたいと思っていたが、なかなか時間が取れずにやっと最終日に行くことができた。
美術館の開館は午前9時30分。開館前に到着したのだが、すでに50人程が列をなしていた。子供連れの家族が多い。私も列に交じって開館を待った。いよいよ入館である。
私自身は絵画を見るのは好きだが、ルートヴィヒ美術館所蔵20世紀美術の巨匠と言われてもさっぱり分からない。知っているのはピカソだけ。小学生か中学生のころ、初めてピカソの絵を見たときの衝撃が忘れられなかった。前を向いているような、横向きのような顔の絵や、さまざまな物が組み合わさったような絵。何が書いてあるのかよくわからない。しかし、記憶にだけは確かに残ってしまったへんてこな絵。その後、ピカソの絵画解説書の中で、ピカソの絵を10人が模写すると10人が全く異なった絵を描くと記されていた。その理由はピカソの絵にはピカソが見たたくさんの情報、例えば顔の絵であれば正面、横顔、真上、真下から見た要素が巧みに描かれており、見る者にとっては何を見たかにより模写した絵が異なってくるというのだ。そのことが忘れられず、その原画が見られるとのことだったので、足を運んだのである。
展示されたピカソの絵は8点。中でも気になったのは『読書する女の顔』である。正面を向いているような、横顔のような、下には本をめくる指が描かれいる。私が距離を置いて、眺めていると、私の左側の絵を見ている女性の横顔が、私と『読書する女の顔』の間にすっぽりとはまった。きれいな女性だった。その横顔と絵がみょうにはまったのでしばらく見とれてしまった。
次におもしろかったのは、『剣を持つ銃士』を眺めていたときだった。大きな絵なので距離をおいて眺めていたら、3歳くらいの男の子が退屈そうに、『剣を持つ銃士』の前で体操のような動きをしたかと思ったら座り込んで、終いには寝そべってしまった。どんなときでも子供は自由である。20世紀美術の巨匠も、まさに、かたなしである。たしかに、よくわからない絵がたくさん並んでいるなかでは退屈だ。20世紀美術の巨匠の作品よりも、どんなときでも自由な子供のほうが勝っていると思った瞬間だった。
『森の精』(ポール・デルヴォー作/ピカソではない)もおもしろかった。森の精だから、服をまとっていない。若い女精(こう表現することにする)の裸の絵だ。ただ、森の精だから妖艶なところはなく、体の線もまっすぐに描かれている。微塵の色気も感じさせない。ところが、陰毛が丁寧に描かれている。いく人かの女精が描かれているが、いずれも同様である。しばらく、眺めた後、視線をずらすと中学生くらいの娘を連れた中年の女性と目があった。私を見つめている。私も見つめ返すと、視線をそらして、行ってしまった。そうか、女の裸に見とれている私を変なおやじと思ったにちがいない。変なおやじには違いないが、妖艶さを微塵も感じない絵を見つめている私を変態扱いするほうがおかしいよな、と思った。
40分ほど眺めたが、気づくと、館内は満員状態になっている。帰宅しようと駐車場に向かうと満車状態。最終日とあって、多くの人々が訪れてきたに違いない。
いい知れぬ余韻浸りながらに、私は美術館を後にした。
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