野田首相の突然の解散宣言により、12.16総選挙が決まった。「最低でも県外」発言で沖縄の基地問題を告発した鳩山元首相は、民主党から公認を拒否され、引退を宣言した。沖縄基地問題解決について真正面から取り組んだ政治家の一人であり、その引退は残念だ。
その鳩山氏の引退表明直後のインタビュー記事が11月30日付沖縄タイムス“金平茂紀のワジワジ通信24”に掲載された。以下はその抜粋である。
・・ 秘密会のリーク 〈今から考えて一番悔いの残るのはどんな点か?〉 「オバマ大統領ともっと直接に、沖縄問題を議論しておけばよかった。大統領にきちんと状況を説明申し上げ・・。官僚たちがどう考えていようと、トップ同士で『わかった』というふうにしてしまえばよかった」 〈オバマ大統領なら理解してくれたと?〉 「はい。でもなかなかその機会は実現しなかった。そこを私は悔いている。」 〈具体的に外務・防衛官僚から邪魔された経験は?〉 「10年2月のことだったが、防衛相、外務省から局長クラスの2人ずつ、官邸サイドと私とで全部で8人の秘密会をもった。私から『君たちを信頼するから極秘裏に移設実施に向けた体制をつくってほしい』とお願いし気持ちよく乾杯して別れた。翌朝の新聞をみて驚いた。1面トップで前夜のその会合のことがくまなく出ていた。この人たちを信じては何もできない。しかし抜きにしては何もできない。あれには参った。・・」 ・・ 〈ルース大使は普天間移設問題ではどんな態度だったのか〉 「とにかく結論をだしてほしい、ハトヤマは辺野古案に戻るだろう、との期待感をもっていて、よろしくという感じだった。選択に自由度があるという雰囲気ではなかった。私に対する批判者たちはよく鳩山は日米関係をぐちゃぐちゃにしたとか言っているが、私に言わせれば、ぐちゃぐちゃになりそうだったのは日米安保の利権で生きてきた人々の権益であって、それをあたかも外交関係全体が損なわれたかのように批判されるのは心外ですね」 |
民主党による政権奪取が2009年8月だから、翌年2010年2月には普天間の県外・国外移設はその計画が躓いたことになる。
当時の報道を確認してみると、たしかにこの時期の政府の動きはあわただしい。鳩山氏が秘密裏に進めようとしていたものが、すべて明らかになり、当時の岡田外相は普天間の固定化について言及し、キャンベル米国務次官補は辺野古案が最善の案と発言するなど、鳩山氏の計画がとん挫していく様の理由がよく理解できる。そして、結局は5月決着に追い込まれることになる。
沖縄の基地問題解決を阻んでいるものは何か。今衆議院選挙にあたっては、よく吟味して投票することが必要のようだ。